GOLF coach Yumi Wakabayashi

ゴルフ、コンディショニング、コーチング、プライベートについて書いているブログです。

人生で影響を受けた人物〜その1〜

ストレングスファインダー資質10位の『運命思考』なのか、人生で影響を受けた人を必然的と感じることがあります。

 

子供の頃から学校の先生にも恵まれ、大好きな先生から影響は少なからず受けていてその教えが今もBayashiの軸となっているとは思います。

しかし【人生】でと言うと、、、

 

産まれて初めて親以外で強烈に影響を受けた人は。

 

高校3年生で出逢ったゴルフの師匠中島巌氏。

 

当時はバブル期。

叔父がゴルフの人脈を通じて修行先を選んだのは

平成元年、秋にゴルフ場オープンを迎えようとしていた「東松苑ゴルフ倶楽部

【中島ゴルフ】と言う独自のゴルフ理論で世界を

代表するプロゴルファーを育て上げた実績で

ゴルフ界では有名な人。

 

3人の子供とたくさんのお弟子さんをプロゴルファーに育てた人が初めてのゴルフ場経営で

「未来のプロゴルファー育成」

をすると言うことで面接には全国から

プロゴルファーを目指す若者が大勢来ていました。

 

ゴルフ経験のないBayashiが果たして

面接に受かるのか?

 

白の上下スーツに金縁メガネの強面の社長に面接を受けて聞かれたことは、、、

 

「お前さんは、スターになりたいのか?

金持ちになりたいのか?」

 

これだけ(笑)

 

緊張もあって頭の中はパニックしてどう答えて

良いかわからなかったのですが、

【スターになればお金もついてくるだろう〜】

と思った18歳は恐る恐る

「スターになりたいです!」

と答えました(笑)

 

その後、掌を見せてみろと言われ両手を開いて

社長に見せました。

 

無事面接が終わり社長の挨拶で

「私はプロを育てる気はない。

育てたいのは【一流のプロゴルファー】だ。

親御さんに心配かけないように東松苑は

女子だけ採用する。

男子は今後開場する福島のコースで採用するから

そのつもりで。以上」

 

以上って?

え?

Bayashi合格しちゃったの?

 

社長曰く

「よそでゴルフを習っていた者は癖がついていて

直すのに苦労する。初心者は色で言ったら

【白】だから何色にも染まる。だから初心者の子

だけを採用する」

 

あら〜、、、

Bayashiゴルフしてなくてよかったのかも(笑)

 

その後造成中のコースで三男の和也プロが試合に向けて調整中だから見学してこいと言われコースへ。

 

そこで見た初めてのプロゴルファー。

そしてプロの球。

 

緊張と憧れの眼差しでプロのスイングを見学させてもらい、これからどんな人生が待っているのだろうとワクワクしながら帰路に着いたことを今でも

鮮明に覚えています。

 

その時

「プロになれなくてもこの社長の元で5年修行したら強い人間になれそうだな〜、ダメでも5年間は頑張ってみよう」

そう思って地元に帰り入寮許可日を心待ちに

していました。

 

平成元年5月から10月のオープンまでは基礎体力作りも兼ねてゴルフ場の造成や整備の仕事。

 

社長自らブルトーザーに乗りコースを造成していきますがブルに乗る時も上下白のスーツ。

 

私たちが練習する時も試合に行く時も

ウェアは上下白。

 

社長の中で【白】は心を表す色。

 

生涯、白の上下スーツに黒の革靴、

白のゴルフ場オリジナル帽子に直筆サイン。

 

社長の口癖は

「日本一のゴルフ場を作る」

で社長自ら朝早くから夕方遅くまでコースを

バイクで見回り社員やキャディさん、お客様に声をかけその合間をぬって研修生の指導にあたってくれました。

 

研修生の1日は

朝5時から練習場のボール拾い。

自分たちが練習するグリーン刈り。

刈ったばかりのグリーンでアプローチ練習。

10時から打席での打ち込み。

昼食の後、全員でアプローチ合戦。

お客様のスタートが終わった後バックを担いでラウンド。

通常研修生はキャディの仕事やポーター(玄関でのバック受け渡し)をしますが、社長が面接で言った

 

「一流のプロを育てる」という

信念で一切の業務が免除されゴルフ漬けの毎日。

 

毎日怒られない日はない位

Bayashiは社長に怒られていました(汗)

 

それもその筈。

ちょ-温室育ちでプロの世界とは縁遠いところに

いたので

・気が効かない!

・社長の言わんとすることを理解することが遅い!

グローブみたいに大きくて分厚い社長の手で

叩かれることも(笑)

 

いつも社長の前では緊張していましたが

怒られない様になりたい!

社長から褒めてもらいたい!

だからプロゴルファーになりたい!!

と思いながら白球を追い続けていました。

 

ど素人をプロに育て上げるだけでも大変なこと。

それを

「一流のプロゴルファーに育てる」

と公言していたので周りの軋轢を一切排除して

ゴルフに専念できる環境を作って指導することは

大変だったと思います。

 

Bayashiがプロになった時、

「中島巌最後の弟子プロテスト合格」

「高慢でアクが強く、傍若無人とも傲慢不遜とも

称されるが人が目標に向かって進む時、

何が必要で、何が不必要かの取捨選択を

中島巌は身をもって教えた気がする。

その最短距離を進もうと急ぐ姿が、アクの強さに

映ったのではないか」

とBayashiを取材してくれた記者さんが今まで持っていた「中島父子鷹」のイメージが一変したと

5ページに渡って記事を書いてくださりました。

 

確かに厳しかった(笑)

しかし、深い愛情と信念で目標を決めたら本気で

人がしない努力をして夢を叶えろ!と身をもって

教えてくれた人。

 

社長が亡くなる前、

最期にコースで怒られ頭を叩かれた時、

Bayashiは無意識に目を瞑り構えていましたが

社長の叩き方に力がなかった

 

その2ヶ月後、社長は69歳の生涯を閉じました。

もっと怒られたかった。

でも一度でいいから

プロになった姿を見て褒めてもらいたかった。

 

ゴルフとの出会い - BAYASHI’s Room